合同会社醸壌

コラム

対馬の藻塩

 最近はいろいろな塩が売られていますね。この前、久しぶりに博多に行きました。駅近くのスーパーを覗いてみたところ、世界中の塩がおいてありました。イタリア、スイスの岩塩、ミンク色の塩、メキシコやチリなど南米からも塩を輸入してるんですね。で、なんと日本の塩は伯方の塩(原産はメキシコだが…)と精製塩ぐらいでした。なんかさみしさを感じてしまったのは仕事がらなのか??

 日本の塩は何から始まっていると思いました?もしかしたら40代から60代の方は白い精製塩が最初に思い浮かべるかもしれませんね。なんせ日本は1994年まで精製塩しか出回らないように統一規格が決まっていましたから。この前ある雑誌に「日本の塩の原点は藻塩である」と書いてあるのを目にしました。岩塩より藻塩だったらしいですよ。もしかしたら上杉謙信が武田信玄に送った塩も「藻塩」だったかもしれませんね。だとするとなかなか贅沢な「敵に塩を送る」だったことになりますね。

 さて、対馬の塩の歴史は1300年ごろから文献に出始めます。当時は朝鮮半島や中国大陸との貿易で輸出品として重要な位置にあったようです。まさに特産品だったようです。この傾向は江戸時代にも続き、年貢の一部としても作られていたそうです。面白いのことに対馬藩で作られていた藻塩は浅茅湾(対馬中部)周辺だったようで、行政の中心が厳原(南対馬)であったことと、山だらけの地形を考えると、当時は隠れるように作っていたのではないかと想像してしまいます。当時の名残として塩竈神社が対馬に3カ所だけ残っているのですが、その場所が全て浅茅湾周辺であることから、なかなか藻塩作りは盛んだったのかなと考えられます。

 その後、明治時代になると海外と比べて日本の塩の質が不均一であったことから政府が統一基準を作ってしまいます。この時全国に散在していた塩製造はほとんどが店を閉めてしまったようです。対馬も例に漏れず壊滅状態だったようです。現在藻塩を作られている事業は数カ所ありますが、その中の一つで赤島で藻塩作りをゼロから始めた権藤さん(我々の塩麹で使う藻塩の製造者)によると、「当時(約20年前)藻塩を作っている人は一人もいなかった」とのことです。また藻もそこら中にあり、権藤さんの製塩所の目の前で藻が採れていたそうです(透き通った海の写真あり)。そんなわけで、対馬の藻塩は歴史自体は古いのですが、現在作っている藻塩は最近復活したものであったことが分かってきました。最近は磯焼けや食害によって藻が急激に減ってしまいました。今後持続的に藻塩が供給できるか怪しくなってきたことを考えると藻場の復活は突然身近なものに感じています。農地だけでなく、海も今大きな改変が起きていることを改めて実感しました。

 塩麹の材料として使わせてもらっている対馬の藻塩、やはり他の塩より甘みが強いように私は感じます(試した方どうでした?)。対馬ではこの藻塩を対馬で採れた魚の刺身に醤油の代わりに使ったりします。正直、超贅沢ですね。よだれが出てきた「あなた!」是非直接食べに来てくださいませ。ちなみに対馬の藻塩を取り寄せてくれた方、キュウリやナスの藻塩の塩もみがおいしかったですよ。もしくは肉じゃがに醤油を減らして玄米塩麹で味を調えるといつもと違う肉じゃがを楽しむこともできます。

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